これまでのサブ4が限界だった私が2019年の極寒の東京マラソンでサブ3.5を達成した際の対策と練習方法

ランニング知識

サブ3.5達成なんて無理!そう思ってる方は多いはず。マラソンランナーの約11-12%しか達成していないというデータが難しさを物語っていますが、とうとう私は今年の東京マラソンでそのサブ3.5を達成することができました。その過程をお伝えします。

レースまでの数ヶ月間の戦略と設計力がとても大事

2回目のフルマラソンで見えてきたサブ3.5

今年は東京マラソンを走れることになったので、シーズン前半に1回馴らしでフルを走り、その後東京マラソンでピークを持って来れるように調整しようと考えていました。

その予定だったのですが、1回のフルマラソンの破壊力を存分に知っていたので、徐々に1発目勝負という気持ちに変わって来てしまい、その結果、12月初旬のレースでなんと大目標だったサブ4をクリアしてしまう大記録3:38:15を叩き出してしまったのです。そう、次はサブ3.5という目標ができてしまったという言い方もできます。

ここからキロ12秒を縮めることができるのでしょうか?5’10秒/kmから4分台の4’58秒/kmです。

前回のフルマラソンで作った足の継続効果を最大限活用する

想定内?予想以上の激走によるダメージはやはり大きく、いろんなところが破壊されました。膝裏の激痛が最も深刻で、歩くことすら厳しい状況でとにかく回復に努めなければならない状況でした。

一方で、フルマラソンをロングランという練習と位置付けて考えることも可能で、この大きな効果を最大限活用して次の目標レースに向けた調整をすれば大きなアドバンテージが得られると教わった。結果的にはこの戦略が仇ともなり効果を発揮することにもなった。

最大目標に向けて無理して早期始動

アクティブレストで回復を図る

動かず歩かず走らずよりも、軽めのジョグで刺激を入れて筋回復を早まらせるのが狙い。東京マラソンまでは3ヶ月を切っているため、フルマラソンの5日後からそのジョグをスタートしました。ただ、まだまだ足が痛いスジが、全てが痛い。その後のタイム出しは14日後に5kmを4’55秒/kmで行なっている。後から思うに走れてるのが凄い。

次のレベルのスピードを体得したい!

サブ3.5を目指すという事はもはやキロ5分台のランニングは許されない。4’58秒/km以上のスピードが必要で、まずはそのスピードを自分の身体に覚えさせ、体得して行けるかが目下の課題と認識していた。5kmを4’36秒/km、10kmを4’49秒/kmと年末にかけて焦りの練習を決行している。フルを走った後は短い距離での記録も出やすいと聞いたので、年始に記録会を実施。

1マイルを4’14秒/km、10kmを4’33秒/km、そしてハーフを4’58秒/kmで走り1つ1つ記録を更新することに成功した。この時点で5kmを4’45秒/kmレベルで走れるようにもなって来た。

実際レース2ヶ月前にどれくらいのスピード修得が必要かわからないけど、少なくともそういう(4分台)スピードが必要と意識する事はすごく大事だと思う。

足の崩壊とそこからの復活

焦りから戦略が破綻方向へ

ペースの数字上は順調だった一方で、実は痛みを引きずったままトレーニングだったため、とうとう足が破綻してしまいました。レースまで6週間、着地すると足の甲に激痛が走る。そのため3日間の全休。これがまた焦りに拍車をかける。アスファルトロードだと着地が激痛のため、芝生などの不整地での練習も取り入れるようにしました。絶不調。色んな人にアドバイスを聞くと「無理をしてはいけない」で一致する。焦りから回復してない状態での高負荷が戦略を破綻に向かわせている。

唯一の救いは、「痛さは強くなるためにあるもの。超回復の原理。」という話だった。

できる事をやるしかない 身体と向き合う事の大切さ

今まで準備体操やアフターケアはほとんどやってこなかったけど、さすがに今回は事情が違う。藁をも使う意識で色んな人に相談。状態が如何しようも無いと知る。スネの内部にあるヒラメ筋をほぐしてもらい、状態が回復の兆しを見せた。この日から教えてもらった方法で体をほぐしたり、そして休むこと、我慢する事のトレーニングをし始めた。レースまで5週間だけど、自分に1週間の休みを強与えることにした。

見切り発車でトレーニング再開

痛さと工夫

走れなければ痛さは引いていってたが、トレーニングが必要。だから、全回復は諦め、いかに上手く付き合うかの方向にシフトした、そう、心の中でそう腹を括った。とにかく可能な限りの安全運転エオ意識しつつ、ほとんどのトレーニングを不整地で行なった。基本はジョグでの足作り。タイムを出す時はなんとか5’10秒/km程度までは走れた。

トレーニングのオンとオフをしっかり区別することもここからの鍵となる。

積み上げたトレーニング内容

設計したトレーニングスケジュールは破綻したけど、内容はそのまま生かして実施していった。

  • ペースラン 12-15km – 4’50/km × 4回
  • ジョグ 8km + ながし5本 × 14回
  • LSD 120分 + ながし5本 × 2回
  • スピードラン 1000m × 7本 × 2回
  • ロングラン – 30km走 × 1回 (レース3-4週間前に実施)
  • ビルドアップラン 8km + ながし5本 × 3回

※回数はレースまで6週間の中での回数

3日間トレーニングして1日全休。他はスロージョグや調整。

3ヶ月間の練習量は

  • 12月 133キロ(1回のフルマラソン含む)
  • 1月 165キロ
  • 2月 227キロ

レース直近の3ヶ月間で526キロ。1ヶ月平均175キロ。ちょっと少ない方かもしれないですね。個人的には3ヶ月で600キロと予定していました。

減量でもタイムを縮める努力

前回のフルから間がなかったこともあってか理想体重の72キロ程度をキープ。カロリー制限はそのまま実施したけど、この点は前回よりもスムーズだった。

2週間前、疲労回復期

焦りから前のめりなトレーニング期を終えて、残り2週間の疲労回復期に入った。出遅れているせいか、もう少しトレーニングをと思うけど、周りのアドバイスは全員同じ。「とにかく痛みを取る事」そして「今から練習しても変わらない」という事。

レース本番

ご存知の通り、日本記録保持者大迫傑選手が途中棄権したように、レース当日は極寒で身体が動かなくなりました。

東京マラソンならでは大混雑大声援フラットコース、これらと天候を加味するとプラスマイナスゼロくらいでしょうか。とにかく突っ込もうと最初から4’50秒/kmで刻んでいき、30km地点までに4分程度貯金も作れていました。そして、悪魔の35km地点から例の”動かない感”。それでも耐えに耐え、残り3kmへ。本当に進まない。最後1kmの丸の内仲通りの石畳なんて地獄でした。

石畳が針の山のように足を刺激してきて、つりっぱなし。The Endかと思いつつ、最後の直線で東洋大学ばりの1秒を削り出し

なんとかサブ3.5を6秒マイナスで達成しました